2009年12月28日

Discreet Music/Brian Eno

フランスの作曲家"Erik Satie(エリック・サティ 1866-1925)"が1920年に作曲した"家具の音楽"と称する室内楽曲には、次のような有名なエピソードがあります。

バルバザンジュ・ギャラリーでのコンサートである実験的な演奏が行われました。そのコンセプトは人から"意識的に聴かれることのない音楽"というものでした。
コンサートのプログラムには「休憩時に演奏される音楽をどうぞ聴いてくれませんように……くれぐれも」といった内容の注意書きが添えられていました。
しかし、その思いとは裏腹に音楽がはじまると聴衆は自分の席に着き会話をやめて曲に耳を傾け始めました。
"意識的に聴かれることのない音楽"という実験は失敗に終わりましたが、音楽を環境の一部として捉える新しい方向性を示唆した最初の出来事となりました。

"Roxy Music (ロキシー・ミュージック)"でシンセサイザー奏者として参加していた"Brian Eno(ブライアン・イーノ)"は、ヴィジュアル的に目立ち、当時のメディアなどではリーダーとして見なされてることが多かったイーノに対して、バンドのヴォーカリスト"Bryan Ferry (ブライアン・フェリー)"の"グループに二人のブライアンはいらない、ノン・ミュージシャンが二人いてはいけない"との理由により解雇同然の扱いで脱退、その後ソロ活動を進める中、人に認められる為にいかに音楽で人にショックを与えるといった、それ故闘争的であり煽動的でもある表現を卒業してその音が全く認められなくても構わない控えめな表現へと魅かれていきます。

1975年"Obscure(オブスキュア)(曖昧な)"と名づけられた実験音楽の普及を目的としたレーベルを設立。
イーノのソロ3作目である"Another Green World(アナザー・グリーン・ワールド)" ('75)と同年、同レーベルから3作目となる
"Discreet Music(ディスクリート・ミュージック)"を発表します。(録音時期はアナザー・グリーン・ワールドより早いが、発売は後。)

"私は聞くこともできるが、おそらく無視することもまた容易い音楽を作ろうとしていたのだろう。
ちょうど「夕食時のナイフやフォークの音と混じる」ことのできる音楽を作りたいと考えていたサティと同じ精神で。"

イーノのこの様な発言にもあるように、通常好んで音楽を聴く場合、周囲の音よりボリュームを上げて耳を傾けるものですが、この曲によってイーノは、自分を取り囲む(=Ambient)環境或いは空間の音の為に響く控えめな(=Discreet)音楽、つまり"Ambient Music(アンビエント・ミュージック)"という音楽思想を創生します。

イーノによるアンビエントといえる表現は、"King Crimson(キング・クリムゾン)"の中心人物"Robert Fripp(ロバート・フリップ)"との初コラボレーション作"No Pussyfooting"('73)、続く2nd"Evening Star"('75)に於いても既に垣間見る事ができますが、明確な意識変化が起きたのはロキシー・ミュージックのギタリスト"Phil Manzanera(フィル・マンザネラ)"のファースト・ソロ"Diamond Head"('75)参加後、交通事故に合い、殆ど身動きの出来ない状態でベットに寝ていなくてはならなかった際に起きた次の様な出来事が転機となったようです。

"ある日、友人のジュディ・ナイロンが18世紀のハープの曲をおさめたレコードをもって見舞いに来てくれた。
彼女が帰った後で、私はかなり苦労してレコードをかけた。横になってから、アンプが非常に低いレヴェルでセットされていて、
ステレオの一方のチャンネルからは全然音がでないのに気が付いたのだが、起きあがって直すなんていう元気も無かった為、
レコードはほとんど聞こえないような音でプレイされた。
この事が私に音楽の新しい聴き方を教えてくれた。それは光の色や雨の音が環境の一部である様に、
音楽も周囲の環境の一部として聴くことだった。私がこの作品を比較的小さな音で、
しばしば聴覚の限界を下回るくらいの小さな音で聞くように薦めるのは、この様な理由からです。"

"意識する事も、無視する事も容易い音楽"をコンセプトにリリースされたアンビエント宣言ともとれるこのアルバムの表題曲でもある30分以上にも及ぶ大作"Discreet Music"は、シンセサイザーで創生された異なった長さをもつ単純なメロディを数種のパターンで流し、時折グラフィック・イコライザーによってその音色を変化させ、イーノが1964年テープレコーダーの可能性に気づき始めて以来実験を重ねてきたディレイを掛けるといった、偶発的な音の生成つまりイーノが提唱する"音楽の自己生成"が体言されています。

またこのアルバムには、ギャヴィン・ブライアーズ指揮による有名な"パッヘルベルのカノン"を原型とする3つの変奏も収録されています。
詳しくはアルバム裏にシステムと解説が載せられていますが一番有名なフレーズは使われず、ディレイを掛けながら自動生成された音が重なり合わせては消える"音楽の自己生成"がやはり
展開されています。

"環境の一要素としての音楽"というイーノが提唱したアンビエントというディスクリート・ミュージックは、"Ambient #1 Music For Airports(アンビエント1/ミュージック・フォー・エアポーツ)"('78)以降
アンビエント・シリーズとして新たな音楽理論を確立します。

"Microsoft(マイクロソフト)"より"人を鼓舞し、世界中の人に愛され、明るく斬新で、感情を揺さぶられ、情熱をかきたてられるような曲。ただし、長さは3秒コンマ25"といった依頼を受け、
"Windows 95"の起動音"The Microsoft Sound"を製作したといったエピソードも、アンビエント・ミュージックの先駆者として相応しいものでしょう。

自らを"ノン・ミュージシャン"と語るブライアン・イーノのこの様な表現スタイルは、
エリック・サティの以下の名言に繋がるものかもしれません。

"偉大な芸術家は常にアマチュアである。"



iTunes Music Store(UK)Brian Eno - Discreet Music - Discreet Music




Discreet Music

Discreet Music

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Virgin
  • 発売日: 2008/10/30
  • メディア: CD




posted by jiro at 13:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | Brian Eno
2009年12月19日

New York Mining Disaster 1941/The Bee Gees

ポップス史上最も成功したアーティストとして、"Elvis Presley(エルヴィス・プレスリー)"、"The Beatles(ビートルズ)"、"Paul McCartney(ポール・マッカートニー)"、"Michael Jackson(マイケル・ジャクソン)"と共にその名が挙げられ、全世界で2億3000万枚を超えるレコードを売り上げている"The Bee Gees(ビー・ジーズ)"。
1999年オーストラリア、クイーンズランド州の"Reedy Creek Observatory(リーディ・クリーク天文台)"で発見された小惑星の名がこの"Beegees"に由来するものである事も、
彼等がオーストラリアが産んだスーパー・スターとして名声を博したエピソードとして相応しいのかもしれません。
この"Bee Gees"というグループ名の由来自体は、デビューに辺り彼等を紹介した"Bill Goode(ビル・グード)"、紹介されたラジオDJ"Bill Gates(ビル・ゲイツ)"、メンバーである"Barry Gibb(バリー・ギブ)"、"Robin Gibb(ロビン・ギブ)"、"Maurice Gibb(モーリス・ギブ)"というギブ3兄弟である事(Brothers Gibb)、長兄の名がバリー・ギブといった"B"、"G"という文字が周りに溢れていて、当初"BG's"であったところから付けられたという逸話があります。

世界的名声としてビー・ジーズの名が知られるようになったのは、やはり60年代以降ニューヨークを中心に当時抑圧されていた黒人やヒスパニック系移民、或いはゲイ・ピープルといった
所謂マイノリティ達が"Soul(ソウル)"や"R&B(リズム・アンド・ブルース)"のレコードを再生し、それらに合せて夜を踊り明かすという密かな社交場として形成していった"Disco(ディスコ)"という文化が、
70年以降1969年に起きたその様な同性愛者達の意識を変換させた画期的事件"ストーンウォールの反乱"に端を発する社会的地位向上への動き、またはベトナム戦争により深い精神的ダメージを負った
アメリカ社会が気分を明るく開放してくれる娯楽を求めて行く中、アメリカのテレビ番組"Soul Train(ソウル・トレイン)"の登場によるディスコ・ブームの到来を世界的な一大ブームへと拡げて行った
1977年製作のアメリカ映画"Saturday Night Fever(サタデー・ナイト・フィーバー)"によるところが大きいのではないでしょうか。

一方日本で彼等の楽曲が広く親しまれる様になったのは、少年少女の初恋を描いた1971年製作のイギリス映画"Melody(小さな恋のメロディ)"と共にあると言えるのではないでしょうか。
もっと遡れば、オリコンチャート第1位となったシングル曲"Massachusetts(マサチューセッツ)"('67)によるものであるとも言えます。

ビー・ジーズがデビュー当初より目標としていたのはメンバー自身が認めているようにビートルズであったようです。
実際、オーストラリアでデビューした彼等がイギリスに渡りUK、USでのデビュー・アルバム"Bee Gees 1st"('67)リリース後彼等の事をビートルズが変名して演っているといった噂が流れたそうで、
実際この"Bee Gees 1st"は"Psychedelic rock(サイケデリック・ロック)"の傑作といえる素晴らしいもので、ある意味それ程ビートルズに劣らない魅力があったからと言えるでしょう。

"Bee Gees 1st"にも収録されている"New York Mining Disaster 1941(ニューヨーク炭鉱の悲劇)"('67)は、アメリカでのデビュー・シングルであり、その後の成功へのスタートとなった曲です。(全米14位、全英12位)


私に起こったある出来事に関して、

私には皆さん全員にご覧いただきたいものがあるのです。

それは、私が知っていたある人物の一枚の写真なのです。

ジョーンズさん、私の妻に会ったことあります?

外がどうなってるか解りますか?

あんまり大きな声で話さないでください

落盤が起こってしまいますよ、ジョーンズさん

私は物音を聞こうと耳をずっとそば立てている

きっと誰かが地下へと掘り進めているはず

それとも、連中は全員諦めて家に帰って、ベッドの中で

かつて存在していた者たちが死んでしまったものと思っているのだろうか
(※一部引用)

詩の内容については1966年10月イギリス、ウェールズ起きた多数の死者を出す炭鉱事故に触発されたという逸話がありますが、単なるラヴ・ソングに留まらない、極限の中だからこそ大切な人を想う事の大切さを問う普遍的なテーマを唄っています。
またビートルズの影響下と思われるチェロを効果的に使った哀愁を帯びた楽曲については、ロビン・ギブが
"暗くて炭鉱の中みたいな雰囲気のロンドンのIBCスタジオでレコーディングしました。だからこんなにものさびしい曲になったんです。"とコメントを残しておりますが
サイケデリック・ロックの台頭という時代性に相応しいものとなっています。

ビー・ジーズが初の米ビルボード1位を獲得した"How can you mend a broken heart(傷心の日々)"('71)以降徐々に人気に陰りが見えてきた頃、当時マネージメントを引き受けていた"Robert Stigwood (ロバート・スティグウッド)"(映画"サタデー・ナイト・フィーバー"を製作、RSOレコード(Robert Stigwood's Officeの略)の設立者)の紹介により救いの手を差し伸べた"Aretha Franklin(アレサ・フランクリン)"、"Chaka Khan(チャカ・カーン)"、"Norah Jones(ノラ・ジョーンズ)"などを手掛け偉大な功績を残したアトランティック・レーベルの名プロデューサー"Arif Mardin(アリフ・マーディン)"によりそれまでのビートルズ・フォロアーといえるものからR&B色の強いものへと変換した際、コマーシャリズムの権化としての見方を一部ではされた様ですが、
ビージーズが"Otis Redding(オーティス・レデイング)"を想定して作曲した"To Love Somebody"('67)、先述の"傷心の日々"を"Al Green(アル・グリーン)"がカヴァーするなど実は彼等にはR&Bの要素が初期の頃よりあり、アリフ・マーディンがアルバム制作中に長兄バリーに対し"1オクターブ上げて歌ってみないか?"との有名な逸話となるアドバイスにより、ファルセットを身につけその才能を開花させたのが実際のところと言えるのではないでしょうか。(2006年6月25日この世を去ったアリフ・マーディンの葬儀には、ロビン・ギブが夫人とともに参列し注目を集めました。)

ビー・ジーズ結成50周年となった2009年、"Mythology"、"Ultimate Bee Gees: The 50th Anniversary Collection"と2種類のベスト盤のリリース、ニューヨークタイムズ紙の社説にもその話題を取り上げられ、また初期のピークといえる"Odessa(オデッサ)"40周年を記念したデラックス・エディション化など、2003年1月12日、モーリス・ギブ死去により(この葬儀には"Diana Ross(ダイアナ・ロス)"の曲"Eaten Alive"('85)の共作など親交のあったマイケル・ジャクソンも参列)、
3兄弟のかけがえの無いハーモニーに終止符を打つ事となりましたが、時代を超えて愛された美しいメロディーはこれからも色あせる事はないでしょう。



iTunes Music Store(JAPAN)ビージーズ - Bee Gees' 1st - New York Mining Disaster 1941




Bee Gees' 1st

Bee Gees' 1st

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Rhino
  • 発売日: 2007/01/23
  • メディア: CD






MYTHOLOY


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2009年12月12日

Sat In Your Lap/Kate Bush

この世に英国人として生を受けたこと、女性として生まれたこと、そして"Kate Bush(ケイト・ブッシュ)本名:Catherine Bush (キャサリン・ブッシュ)"として生きること。
それら生のエネルギーと言えるものが音楽との出会いにより自我が目覚めた時、溢れ出す"エモーション(感情)"をまるで何かに摂りつかれたかの様に表現した才女。
ケイト・ブッシュとはその様な表現者ではないでしょうか。

父親が医師と比較的裕福な家庭で育ったケイトが、その才能が目覚め始めたのはグラマースクール(大学進学を目的とした英国の伝統的な中等教育機関)に通学していた頃からの様で、
ケイトの兄から紹介された"Pink Floyd(ピンクフロイド)"の"David Gilmour(デビッド・ギルモア)"が、その才能に魅了されデビューに至るに辺り大変面倒を見た事は有名な話となっています。
ケイトはまた音楽だけではなく"David Bowie(デヴィッド・ボウイ)"の恩師であり、舞台の魔術師と称された"Lindsay Kemp(リンゼイ・ケンプ)"の元でパントマイムやダンスのレッスンも受け
デビューまでの準備期間として表現者としての感性を磨いています。

"Emily Jane Brontë(エミリー・ジェーン・ブロンテ)"の長編小説"Wuthering Heights(嵐が丘)"をモチーフに製作されたデビュー曲"Wuthering Heights(嵐が丘)"('77)は、全英4週連続1位を記録、同曲を収録した"The Alan Parsons Project(アラン・パーソンズ・プロジェクト)"のオーケストラアレンジを担当した"Alan Parsons(アラン・パーソンズ)"の朋友"Andrew Powell(アンドリュー・パウエル)"プロデュースによるデビュー・アルバム"The Kick Inside(天使と小悪魔)"も40万枚というセールスとなり、若干19歳であるケイトの才能が大きな注目を集めることになりました。
日本でも1978年第7回東京音楽祭に出演しその存在感溢れるパフォーマンスを披露し広く知られるようになります。

"天使と小悪魔"リリースから僅か8か月後に発表された2nd."Lionheart(ライオンハート)"('78)(全英第6位)も引き続きアンドリュー・パウエルのプロデュースによるもので、後にケイトはそのサウンド・プロダクションが気に入っていなかった内容のコメントを残していますが、"ライオンハート(獅子心王)"と称された中世騎士リチャード1世をモチーフとした"Oh England My Lionheart"など
この時期のケイトは英国の文学少女といった側面と、所謂コケティッシュなイメージとして人気を博していた感がありました。

実はその様な部分もケイト・ブッシュの魅力の一つと言えるのですが、作品の質で評価されたいという表現者としての生真面目さが3rd."Never For Ever(魔物語)"('80)では共同プロデュースという形で表面化します。
1979年に発表され音源のサンプリングを可能にしたデジタルシンセ時代の幕開けを象徴する"Fairlight CMI(フェアライトCMI)"を駆使した"魔物語"はイギリスの女性アーティストとしては初めて全英アルバムチャート1位を獲得する傑作として高く評価されます。

しかし、ケイト・ブッシュの本当の意味での深化はケイト自身による初の単独プロデュースとなる4th."The Dreaming(ドリーミング)"('82)で具現化することになります。
通常24トラックを使用して行われるレコーディングをその3倍の72トラックで多重録音し、フェアライトCMIによるデジタル・サンプリングの多用といった徹底した音楽至上主義といえる
この作品は、そこに費やされたエネルギーに対してリリース後精神病院に入っているなどとという心ない噂がでるなど評価の分かれる結果となった意欲作となりました(全英第3位)。

"Sat In Your Lap(サット・イン・ユア・ラップ)"は"ドリーミング"に先行する形で1981年シングル・リリースされた曲です。
この時期のイギリスの音楽シーンは"Post-Punk(ポストパンク)"に代表されるリズムに焦点をあてた実験性の高い音楽が台頭した時期であり、また"Peter Gabriel(ピーター・ガブリエル)"の"Peter Gabriel 3(通称:Melt)"('80)に参加した事などに感化されたのか英国人としてのケイトのアイデンティティと原住民としての原初的リズムがせめぎ合う作風となっています。

Some say that knowledge is something sat in your lap
Some say that knowledge is something that you never have

知識は自分の膝の上にあるのだという人もいれば、
知識は所詮、身につかないものだという人もいる

自意識の在り処を摸索するかの様な歌詞もそうですが、PVでもKKK(クー・クラックス・クラン 白人至上主義団体)を思わせるコスチュームの人達と原住民を思わせる人達が交互に姿を現す意味深なものとなっています。
この曲をオープニングとする"ドリーミング"はその後のケイトの表現者としての方向性を決める一つの到達点を迎えた作品と言えるのではないでしょうか。
その後の作品も年齢を重ねながら変化していく"エモーション(感情)"に正面から向き合った作品を発表していきます。

ケイト・ブッシュが表現した"エモーション(感情)"はケイト自身が望んでいた様に、聴く度に違った印象を与え長く愛聴され続けることに違いありません。
ケイトの以下の発言がその魅力を端的に著しているのではないでしょうか。

"私は写真よりも、もっとすばらしいものを内面にもっているのよ。"





iTunes Music Store(JAPAN)Top of the Poppers - Top of The Pops, Vol. 87 - Sat In Your Lap




The Dreaming

The Dreaming

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Toshiba EMI
  • 発売日: 1991/08/05
  • メディア: CD





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2009年12月06日

Tutti Frutti/Little Richard

アメリカに於ける人種差別という社会問題に対して、黒人達が自らのアイデンティティを主張する表現手段であった"R&B(リズム・アンド・ブルース)"。
1950年代に人気を博したアメリカのラジオDJ"Alan Freed(アラン・フリード)"が、ラジオ番組で黒人音楽のリズム・アンド・ブルースを"Rock and Roll(ロックン・ロール)"として紹介した時、それは聴く人全てのアイデンティティを主張する表現手段へと変換されました。
1932年アメリカ南部ジョージア州メイコン出身である"Little Richard(リトル・リチャード )、本名:Richard Wayne Penniman(チャード・ウェイン・ペニマン)"は当にロックン・ロール創世記の重要な表現者である事は間違いありません。
厳格なクリスチャンである両親の元で育てられたリトル・リチャードにとってのアイデンティティとは、その家庭環境では許される筈も無い同性愛者である事でした。
幼い頃から聖歌隊でピアノと歌を鍛えたリトル・リチャードにとって、自らの表現の場としてR&Bシンガーへと向かったのは必然であったのかもしれません。

1951〜54年、家を出たリトル・リチャードは地元のクラブでボーカリスト&ピアニストとしての出演("Little"という愛称はこの頃付けられたそうです。)、
メディスン・ショーと呼ばれる薬の販売促進の為に行なわれた黒人達による大道芸に参加(ブルースやR&Bがアメリカ全土に広がったのは、このショーによるところが大きいと言われています。)、
またアトランタに移り住んだ際、"プリンス・オブ・ブルース"といわれた"Billy Wright(ビリー・ライト)"のステージを観そのボーカル・スタイルや、派手なメイクアップ、前髪を高くしたポンパドールというスタイルに非常に影響されたそうです。
ラジオのタレント・オーディション番組で優勝した事を切欠に、RCAレコードと契約してデビューを果たしますが、商業的な成功は得られず、皿洗いの仕事などをしながらチャンスを窺うという生活を余儀なくされていたそうです。
1955年、Specialty Records (スペシャルティ・レコード)にデモ・テープを送った事を切欠に、リトル・リチャード或いはロックン・ロールの歴史に於いて重要な奇跡が起こる事になります。
ニューオーリンズで行われた録音で上手く行かない事への苛立ちをリトル・リチャードは、この意味不明の叫びで表現したのです。

"Awop-Bop-A-Loo-Mop-Alop-Bam-Boom!"

作曲者である"Dorothy La Bostrie(ドロシー・ラボステリ)"はこの意味不明のフレーズを生かすことを思いつき、こうしてロックン・ロール史上最も重要な曲のひとつ"Tutti Frutti(トゥッティ・フルッティ)"が誕生したのです。
因みに曲名の"Tutti Frutti(トゥッティフルッティ)"とは19世紀の終わり頃に初めてニューヨーク駅の自動販売機で売られたThomas Adams(トーマス・アダムス)社の果物味の砂糖漬けチューインガムだそうですが、
別に差別的表現のスラングとしての意味もあるようです。そもそも、ロックン・ロールという言葉もまた元々は黒人ブルーズやジャズで性的表現を意味するスラングとして使われていたようです。

この曲はビルボード誌R&Bチャートで2位、ポップ・チャートでも17位と大ヒットを記録し、続いてリリースした"Long Tall Sally(ノッポのサリー)"、"Slippin'and Slidin'"、"Jenny, Jenny"、"Rip It Up"
"Lucille"とヒット曲を量産していきロックン・ロール創世記に決定的な影響を与えました。

しかし、リトル・リチャードのアイデンティティは迷走する事になります。
1957年"ある時世界が燃え上がり、空が熱で溶ける夢を見た。しばらくしてフィリピン行きの飛行機に乗っていると突然火を噴きはじめた。私が神に祈るとその火が消えた"と神の啓示を受けたとして、
それ以降同性愛やドラッグを否定し牧師となり、ロックン・ロールは悪魔の音楽だとしてゴスペルを歌うようになります。これは、ロックン・ロール創世記時代の終焉を象徴する出来事であったのかもしれません。

1962年、ゴスペル界のアイドルといわれてきた"Sam Cooke(サム・クック)"率いる"The Soul Stirrers(ソウル・スターラーズ)"が絶賛を浴びる一方、リトル・リチャードのゴスペルにはブーイングが浴びせられました。これによりリトル・リチャードはもう一度ロックン・ロールを歌うことを決意。
62年に"The Beatles(ビートルズ)"、63年には"The Rolling Stones(ローリング・ストーンズ )"を前座としてイギリスをツアーし、また64年からは"Jimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)"をバック・バンドに従え、ジミに"リトル・リチャードが歌ったことをギターでやりたい"とまで言わしめたこの復帰コンサートは、ビートルズを筆頭とする"British Invasion(ブリティッシュ・インベージョン)"と呼ばれたロックの新たな動きに大きな影響を及ぼすことになりました。

1986年にはロックの殿堂入りを果たしたリトル・リチャードは2009年12月5日に77歳を迎えました。
リトル・リチャードの様々な苦悩や葛藤をしながらも主張したアイデンティティこそロックン・ロールそのものであり、それは現代の於いても多くの人がロックという表現手段へと魅かれる動機となっていることに変わりはありません。





iTunes Music Store(JAPAN)リトル・リチャード - Tutti Frutti - Tutti Frutti




Here's Little Richard/Little Richard

Here's Little Richard/Little Richard

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Mobile Fidelity Koch
  • 発売日: 2006/09/19
  • メディア: CD





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2009年11月29日

Angie/Bert Jansch

ブリティッシュ・フォーク界を代表する名ギタリストの一人として様々なミュージシャンから評価の高い"Bert Jansch(バート・ヤンシュ)"。
その偉大なる功績としては、ヤンシュ同様偉大なギタリストとして評価されている"John Renbourn(ジョン・レンボーン)"との"Pentangle(ペンタングル)"に於ける"Folk baroqueto(フォークバロック)"と称された、フォーク、トラッド、ジャズ、ブルースなどの様々なジャンルを消化した二人のギター・プレイが有名ですが、共にDavey Graham(デイビー・グレアム)、Anne Briggs(アン・ブリッグス)などのブリティッシュ・トラッド・フォークに影響を受けながら、古楽、クラシック音楽、民族音楽など多岐に渡る音楽表現の中に独自性を見出したジョンに対し、よりトラディッショナルの中にオリジナルな表現を見出したのがバートと言えるのではないでしょうか。

その辺りがロック或いは、シンガーソングライター系のアーティストに好まれているのかもしれません。
"Neil Young(ニール・ヤング)"や"Jimmy Page(ジミー・ペイジ)"などにも賞賛され、特にジミー・ペイジについては、有名な話として"Blackwaterside"をアン・ブリッグスから学んだバートのプレイに感化され、"Black Mountain Side"に改名して"Led Zeppelin(レッド・ツェッペリン)"('69)に収録するなど絶大な信頼を置いていた様です。
"Johnny Marr(ジョニー・マー)"は、「ジミー・ペイジが実はバートに入れ込んでいたという話を聞いた途端、彼は評価に値する人物になった。」と賞賛し、"Bernard Butler(バーナード・バトラー)"は「ペイジが演ったように、正統なフォークの領域をちょっとかじるというのは、いわばポップ・ミュージシャンにとって慣例みたいなものだ。彼等は、フォークのベストな部分だけを抽出して、それらをとてつもないロック・ギターに変えちまう。そして、山ほど金を稼ぐのさ。ある意味で、彼等は作品のマジックを取り除いてしまっているんだと思うよ。」
とバートに対する思い入れの強さの余り、ロック先人達へ手厳しいコメントを残しています。
ジョニー・マー、バーナード・バトラーはバートのアルバム"Crimson Moon"('00)に参加する事で親交を深めています。

この"Angie"は"デイビー・グレアムによるものがオリジナルで、バートより"Paul Simon(ポール・サイモン)"がこの曲を学んだと言われています。
"Simon and Garfunkel(サイモン&ガーファンクル)"のアルバム"Sound of Silence(サウンド・オブ・サイレンス)"('66)に収録されている"Anji(アンジー)"でよく知られ、"この曲を完璧に弾ければギタリスト"とまで言われたアコースティック・ギターのインストゥルメンタル・ナンバーとしては定番曲となっています。

2003年ヤンシュの還暦を祝うコンサート開催、2009年ペンタングル解散後初のソロ・アルバム"L.A.Turnaround"('74)が再発などバートの色褪せる事のない普遍的魅力について、ジョニー・マーの以下のコメントが的を得ているのではないでしょうか。

「真に革新的な人なら誰でも、取り入れたものに対して自分なりの”捻り”を加えるだろうし、そうしてこそ、それらのものは新しく生まれ変わるんだ。実際、それこそが、バートが真に革新的な人物といえる所以なのさ。」







iTunes Music Store(JAPAN)Bert Jansch - Bert Jansch - Angie




Bert Jansch

Bert Jansch

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Castle Music (UK)
  • 発売日: 2001/09/11
  • メディア: CD




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2009年11月15日

Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin)/Scritti Politti

"Post-Punk(ポストパンク)/New Wave(ニュー・ウェイヴ)"の成果といえる"R&B"、"JAZZ"、"REGGAE"、"DUB"等ブラック・ミュージックへの再発見と"Fairlight CMI(フェアライトCMI)"、"YAMAHA DX7(ヤマハ DX7)"に代表されるデジタルシンセ時代による80年代サウンドとの最良の出会い。

イタリアのマルクス主義の理論家"Antonio Gramsci(アントニオ・グラムシ)"著作の政治的文書を、かのLittle Richard(リトル・リチャード)の曲"Tutti Frutti(トゥッティ・フルッティ)"でもじったものをユニット名に使用した"Scritti Politti(スクリッティ・ポリッティ)"は、当にその代表といえるでしょう。

"Rough Trade Records(ラフ・トレード・レコード)"からリリースされた1st. "Songs to Remember(ソングス・トゥ・リメンバー)"('82)は、自主制作でリリースしていたデヴュー当初にあった、中心的存在"Green Gartside(グリーン・ガートサイド)"の左翼的思想に基づいた音楽活動から、敬愛するブラック・ミュージックそのものへと思想を反映させた傑作です。


83年NYに渡ったグリーンは、"David Gamson(デヴィッド・ギャムソン)(Key.)"、"Fred Maher(フレッド・マー)(Ds.)"と二人の白人ニューヨーカーと活動を共にし、"Hip-Hop(ヒップホップ)"の影響を多分に受けた新生Scritti Polittiとなります。
"Chaka Khan(チャカ・カーン)"がカヴァーした"The Beatles"の"We Can Work It Out"(Stevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)
も1971年にカヴァーしR&Bチャートで3位とヒットさせている。)に感銘を受けたグリーンは、"Aretha Franklin(アレサ・フランクリン)"
を育て、"Chaka Khan(チャカ・カーン)"、"Donny Hathaway(ダニー・ハサウェイ)"、"Bette Midler(ベット・ミドラー)、"Diana Ross(ダイアナ・ロス)、"The Bee Gees(ビー・ジーズ)"、
"Phil Collins(フィル・コリンズ)"、"Daryl Hall & John Oates(ダリル・ホール・アンド・ジョン・オーツ)"、近年では"Norah Jones(ノラ・ジョーンズ)"迄手掛けた名プロデューサー"Arif Mardin(アリフ・マーディン)"('06没)にプロデュースを依頼。

そして、"毎晩、眠る前に僕はアレサ・フランクリンのようにお祈りするんだ"と歌詞の一節にある様にアレサ・フランクリンへのオマージュを込めた傑作"Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin)"('84)が誕生します。12インチ・シングルとしてリリースされたこの曲は、7インチ・シングルを含めると公式に発表されたヴァージョンが全部で四つあります。この辺りはやはり"REGGAE"、"DUB"などのジャマイカ音楽からの流れから、リミックスを数種類12インチ、7インチとしてリリースするメディアが歓迎されていた当時の時代背景を物語っています。

この様な形で、"Absolute" 、"Hypnotize"、 "Word Girl"とリリースした後、2nd."Cupid & Psyche 85"('85)が発表されます。
このアルバムは、その後の評価を予期するかの様なタイトルに"85"とリリースした年を冠してある様に、アリフ・マーディンによるプロデュースの元、彼に声をかけられ参加したエレクトリック・ファンク・バンド"The Sysmem(ザ・システム)"のメンバーであり、その後
"Phil Collins(フィル・コリンズ)"の"Sussudio(ススーディオ)"('85)、"Steve Winwood (スティーヴ・ウィンウッド)"の"Higher Love(ハイヤー・ラヴ)"('86)に参加し80'sポップを先導したキーボーディストDavid Frank(デイヴィッド・フランク)、"帝王"と称される現代最高峰のベーシスト"Marcus Miller(マーカス・ミラー)"
の参加による80's 最先端サウンドとグリーンの甘く透き通った美声で唄われるホワイト・ソウルが奏でる80'sポップの名盤となります。

その後、リリースした3rd."Provision"('88)では、"Miles Davis(マイルス・デイビス)"、"Marcus Miller(マーカス・ミラー)"、"Zapp (ザップ)"の"Roger Troutman(ロジャー・トラウトマン)"の参加など
"Cupid & Psyche 85"によるその影響の大きさが計り知れます。

ヒップホップの誕生とMIDIに代表される音楽テクノロジーの進化、ポストパンク/ニューウェイヴの先に見つけたブラック・ミュージックのパワフルかつ普遍的魅力。
この幸福な出会いが80年代を代表する名曲"Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin)"である事は間違いないでしょう。



iTunes Music Store(JAPAN)Scritti Politti - Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin) - EP - Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin) [12'' Version]




Cupid & Psyche 85

Cupid & Psyche 85

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Warner Bros.
  • 発売日: 1990/10/25
  • メディア: CD




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2009年11月07日

Only So much Oil In The Ground/Tower of Power

1968年カリフォルニア州オークランドで結成された、ベイエリア・ファンクを代表する人種混合ファンク・バンド"Tower of Power(タワー・オブ・パワー、通称T.O.P.)"。
ギリシャとメキシコの混血であるTenor Sax奏者Emilio Castillo(エミリオ・カスティージョ)、Bass奏者Francis "Rocco" Prestia(フランク・"ロッコ"・プレスティア)、Baritone Sax奏者Stephen Kupka(スティーブ・カプカ)を中心に前身のバンド名が"MOTOWNS"である様に、R&B好きが集まって演奏を始めたのがバンド結成の切欠でした。

メンバーの多くがラテン系白人である様にそのルーツには、メキシコを代表する音楽様式"Mariachi(マリアッチ)"などの造詣が感じられますが、彼らのようなバンドが生まれた背景には、人種に捉われない多様な音楽を吸収し、時代を象徴するファンク・バンド"Sly & The Family Stone(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)"を結成した"Sly Stone(スライ・ストーン)"の存在があったからでしょう。
1960年代後半"公民権運動"の盛り上がりと共に黒人の意識が人種に捉われない自由の獲得へと発展していきました。
スライは、16ビートのリズムとフレーズの反復を多用した"FUNK(ファンク)"を、その思いをひとつに、そしてポジティヴへと高騰させる表現へと覚醒して重要な役割を果たしました。

この曲は、"Tower of Power"('73)、"Back to Oakland"('74)と共に、T.O.P.の全盛期となる"Urban Renewal"('75)のオープニングを飾るライヴの定番として演奏される名曲です。
このアルバムからリズムの要である、名ドラマーDavid Garibaldi(ティヴィット・ガリバルディ)がドラムスクール設立の為Bernard Purdie(バーナード・パーディ)と共に、1曲のみの参加となっていますが、この曲では、T.O.P.の充実振りが発揮されているブラス・セクションと、ロッコのベース、Chester Thompson(チェスター・トンプソン)のハモンド・オルガンの絡みが堪能できる最高のファンク・チューンに仕上がっています。

地球にある石油には限りがある
遅かれ早かれ 残りわずかになってしまう
車を運転するなら
子供たちにそのことを伝えるべきだ
地球の石油には限りがあると

地球にある石油に限りがあるのだから
遅かれ早かれ使い尽くしてしまう
代わりの燃料源を見つけなくちゃだめだ
地球の石油には限りがあるのだから

石油なしでは不便なことになる
石油なしでは気ままに暮らせない
このまま放っておけば
大変なことになるだろう
絶対的に燃料は足りないんだ
(※歌詞 一部引用)

公民権法の制定から40年以上が経ち、2009年1月アフリカ系アメリカ人の血をひいたバラク・オバマがに大統領に就任し、温室効果ガス削減に率先して取り組む姿勢を示し、自動車産業も"100年に1度の変革"と呼ばれる“脱石油”へとパラダイムシフトが起きている現代社会に於いて、まるでタイムカプセルを発見した時の様なメッセージ性がこの歌詞には込められています。

2008年結成40周年を記念して、"40th Anniversary Special Party"として来日公演を行い、2009年同じく40周年を記念したアルバム"Great American Soulbook"を発表したタワー・オブ・パワー。
フリーソウル、レア・グルーヴファンのみならずとも人種を超えて愛されるべきファンク・バンドである事は間違いありません。



iTunes Music Store(JAPAN)Tower of Power - Urban Renewal - Only So Much Oil In the Ground




Urban Renewal

Urban Renewal

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Warner Bros.
  • 発売日: 1994/12/19
  • メディア: CD





posted by jiro at 14:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | Tower of Power
2009年10月31日

King Tubby Meets Rockers Uptown/Augustus Pablo

現代の音楽に大きな影響を与えている、シングルのB面に新しい価値を生んだ、一度録音した歌モノとは違ったミキシングによる"version(ヴァージョン)"、つまり"remix"ヴァージョン。
また、メロディをあまりつけず、似た言葉や語尾が同じ言葉を繰り返しながら、韻を踏むHip-Hop四大要素の一つ"rap(ラップ)"という歌唱法。

これらの表現法は、ジャマイカ、キングストンが発祥地である"DUB"と密接な関係にある。というより、"DUB"によって誕生したといってもよいかもしれない。

60年代、屋外の移動式ディスコ"sound system(サウンド・システム)"で、"toasting(トースティング)"と呼ばれるラジオDJを発展させた独特の節回しでレコードに合わせて話芸を披露する"deejay(ディージェイ)"が人気を得ていた。

レゲエをはじめ、スカ、ロック・ステディを生み出し、
ジャマイカ音楽の発展に多大な貢献を果たした、伝説的レーベル"Treasure Isle(トレジャー・アイル)"の創設者、
"DukeReid(デューク・リード)" の元で原盤のカッティング技師として働きはじめていたKing Tubby(キング・タビー)は、
デュークに頼まれ、ディージェイのトースティングで使用する為の歌なしのインスト(=ヴァージョン)のトラックを作るように頼まれた。

そこでタビーが開花させた実験精神は、曲の構造を解体し、過激なエフェクト処理を加え、エコーやリヴァーブ処理などドラムとベースに焦点を当てた、"ヴァージョン"に於けるミキシングを更に推し進めた"remix"の原型といえる画期的ものとなり、自身のサウンド・システム"Tubby's Hometown Hi-Fi(ホームタウン・ハイファイ)"でアセテート盤を作り披露した。

また、ホームタウン・ハイファイの専属deejayである"U-Roy(U-ロイ)"のただ曲を紹介するトースティングでは無い、社会風刺やメッセージを込めたラッパーの原点といえるdeejayスタイルは、タビーの作る歌なしの曲に合わせて大いに観客に受けた。

この曲は、メロディカ(ピアニカ)をレゲエに取り入れた人物として"Far East Sound(ファーイースト・サウンド)"とも形容された、
"Augustus Pablo (オーガスタス・パブロ)"初プロデュース作で、King TubbyミックスによるDUBを語る上で避けては通れない
歴史的名盤"King Tubbys Meets Rockers Uptown"('76)収録曲です。

この曲がというより、アルバム自体が当にDUBのマスターピースであり、"Jacob Miller(ジェイコブ・ミラー)"、"Hugh Mundell(ヒュー・マンデル)"、そしてパブロ自身のシングルをソースとしながら、オリジナル曲の原型を解体し、Bob Marley & The Wailersで活躍したレゲエ史上に残るリズム・セクション、バレット兄弟ことAston Barrett(アストン・バレット)、Carlton Barrett(カールトン・バレット)のリズムの切れ味、パブロによる美しくも深遠な世界観を創造したプロデュース、そしてタビーによる暴力的ともいえるエフェクト加工され再構築された音像は、現在でもDUBという手法がいかに革新的なアートフォームかという事を再認識させてくれます。

1989年2月6日、キング・タビーはDuhaney Park(デュアニーパーク)の自宅の外で何者かに撃たれて殺された。
また、オーガスタス・パブロも1999年5月18日、肺の虚脱が原因となりこの世を去った。

しかし、ジャズをこよなく愛し、タバコもマリファナもビールもやらなかったというキング・タビーが創造したDUBという表現は、
UKレゲエの立役者"Dennis Bovell(デニス・ボヴェル)"、ジャマイカのサウンドシステム文化をニューヨークで再現した
Hip-Hopの創始者、DJ Kool Herc(クール・ハーク)を挙げるまでも無く、現代音楽に於いても影響を与え続けるでしょう。



iTunes Music Store(JAPAN)Augustus Pablo - King Tubby Meets Rockers Uptown - King Tubby Meets Rockers Uptown



King Tubbys Meets Rockers Uptown

King Tubbys Meets Rockers Uptown

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Shanachie
  • 発売日: 2004/01/20
  • メディア: CD




posted by jiro at 14:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | Augustus Pablo
2009年10月25日

Space Oddity/David Bowie

本名:David Robert Jones(デヴィッド・ロバート・ジョーンズ)。
64年、Davie Jones and the King Bees(デイヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズ)としてプロ・デヴュー。
その後、The Manish Boys(ザ・マニッシュ・ボーイズ)、Davy Jones and the Lower Third(デイヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・ロウアー・サード)と活動を経て、ボブ・ディランに触発されソロへと転身。
66年シングル"Do Anything You Say"リリース辺りで、改名した(モンキーズのメンバー"David Thomas Jones"と同名がいた為)David Bowie(デヴィッド・ボウイ)が定着する。

この曲は、"Space Oddity"というタイトルからも分かる様に、
Stanley Kubrick(スタンリー・キューブリック)、Sir Arthur Charles Clarke(アーサー・チャールズ・クラーク)による名作SF映画"2001: A Space Odyssey(2001年宇宙の旅)"にインスパイアされて作成された楽曲で、
評価されなかったデビュー・アルバム"David Bowie"('67)後、傾倒していたチベット仏教への救済活動
を切欠に出会ったリンゼイ・ケンプの劇団の元でパントマイムの腕を磨き、その後結成された演劇集団フェザーズ
のTVスペシャル用の実験フィルム"Love You Till Tuesday"の為に書き下ろされたものでした。

アメリカによるアポロ計画が世間の話題となっている事もあり、この曲を切欠にPhilips傘下のMercuryとソロ契約を果たし、1969年6月、名プロデューサー Gus Dudgeon(ガス・ダッジョン)により再レコーディングされ、7月にシングルとして発表。
実際、BBCのアポロ月面着陸の特番などで"Space Oddity"はテーマ曲代わりに流され、イギリスのチャートでは5位まで上がるヒットを記録します。

地球管制塔より  トム少佐へ
地球管制塔より  トム少佐へ
プロテイン錠を服用して ヘルメットを装着せよ

地球管制塔より  トム少佐へ
地球管制塔より  トム少佐へ
秒読み開始  エンジン起動 
発火装置確認  神のご加護を君に・・・

こちら地球管制塔  トム少佐へ
やったぞ 大成功だ!
君の着てる服のメーカーだけでも特ダネになるぞ
そろそろカプセルを離れてみては? やれそうか?

こちらトム少佐  地球管制塔へ
今、ドアから踏み出すところだ
非常に不思議な感じで浮いている
今日は、星もまったく違って見えるよ

遥か10万マイルも旅してきたが
気持ちはとても落ち着いている
この宇宙船に、先は任せておいて大丈夫そうだ
妻にとても愛しているとくれぐれも伝えてくれ

地球管制塔より  トム少佐へ
回路が故障しているぞ 異常事態だ
応答せよ トム少佐
応答せよ トム少佐
応答せよ トム少佐
応答せ・・・

こうして宇宙船の周りを回っている・・・
月から遥か遠く
惑星地球は蒼い
そして 僕に出来ることは何も無い
(※一部引用)

この曲は、時代の変化を表現するというその後のボウイの偉業の出発点といえます。
ここで歌われる宇宙飛行士"Major Tom (トム少佐)"は、時代のプラスチック・スターといえますし、
楽曲もGus Dudgeon(ガス・ダッジョン)プロデュースにより、時代の音を獲得しているといえます。


また、ボウイはこの様な時代のペルソナを葬り去る事で時代の変化を表現していきます。
実際、80年リリースのシングル"ASHES TO ASHES"で、"Major Tom (トム少佐)"を麻薬中毒者として葬ります。
この辺りは、"I Am the Walrus"(アイ・アム・ザ・ウォルラス)と名乗ったJohn Lennon(ジョン・レノン)が、
傑作"God"(ゴッド)で"I was the Walrus But now I'm John"とビートルズ時代の自分との決別を唄う事で、
今の自分を表現した事に似ているかもしれません。

何れにせよ、時代の変化に応じて求められる表現を獲得したこの"Space Oddity"は、David Bowieの最初の代表曲として、普遍的な魅力を保つ名曲である事は間違いないでしょう。





iTunes Music Store(JAPAN)
David Bowie - Space Oddity - Space Oddity




Space Oddity

Space Oddity

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Virgin
  • 発売日: 1999/08/26
  • メディア: CD





posted by jiro at 18:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | David Bowie
2009年10月17日

Summertime /Janis Joplin

ウッドストック40周年を記念して、40年前と同じ日に同じ場所で開催された"Heroes of Woodstock"で、敬愛するジャニス・ジョプリンが在籍していたバンド "Big Brother & The Holding Company(BBHC)"のゲストボーカリストとして参加したSuperfly志帆。

"Down On Me"、"Piece Of My Heart"とジャニスの曲を熱唱した姿に、孤独感の果てに、60年代、ベトナム戦争の泥沼化により流行した、ヒッピー文化のライフ・スタイル"セックス、ドラッグ、ロックンロール"へと身を投じ、魂の叫びと言える表現でブルースを唄ったその壮絶な生涯が、時を超え、国境を越えてこの様な清清しい形で繋がっている事に感慨深くなりました。

この"Summertime"は、アメリカが生んだ偉大な作曲家ジョージ・ガーシュウィン作曲のオペラ『ポーギーとベス』(1935年)の第1幕に子守唄として使用され、1920年代のアメリカに於ける黒人社会の過酷さが反映されている、ブルース・ナンバーとも言える楽曲(作詞デュポーズ・ヘイワード(DuBose Heyward))で、当にスタンダード・ナンバーとして様々なアーティストにカヴァーされている名曲です。

有名なところでは、John Coltrane(ジョン・コルトレーン)の傑作"My Favorite Things"('61)、Herbie Hancock(ハービー・ハンコック)がガーシュウィンの生誕百年を祝う形でリリースされた"Gershwin's World"('98)=Joni Mitchell(ジョニ・ミッチェル)、Stevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)等豪華ゲストを迎えたこのアルバムは、第41回(1998年度)のグラミー賞"Best Jazz Instrumental Performance, Individual Or Group"受賞、など実にジャンルを問わず多く親しまれてますが、何といってもこのジャニスによるカヴァーは、彼女が敬愛したBillie Holiday(ビリー・ホリデイ)の様な哀愁を漂わせながらも、オリジナルと言ってしまえる程の
ジャニスの独創性が発揮されている名曲です。

ビリー同様、ドラッグ、アルコール中毒による壮絶な生涯を送ったジャニスですが、容姿のコンプレックス等常に孤独感に苦しみながらも、ブルースを武器に叫び続けたその歌声は、この様なスタンダード・ナンバーでこそ際立った魅力を多くの人に届け続けるに違いありません。







iTunes Music Store(USA)で試聴Janis Joplin - Janis Joplin's Greatest Hits - Summertime




Cheap Thrills

Cheap Thrills

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony Mid-Price
  • 発売日: 1999/09/02
  • メディア: CD





posted by jiro at 13:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | Janis Joplin

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